プロモーションってもっと大切なんじゃないかな2010-05-27 Thu 20:59 昨日、友人と話していて痛感したことがあります。 彼は私と同じように、建築設計・デザイン・インテリア・施設企画・プロモーション・運営企画まで手がける人です。 彼が言うのに、 「最近ますますソフトな部分にお金を払う人が少なくなってきた」 つまり、「設計という作業」にはお金を払わなければいけないということはわかっているけれど、その前にある「企画」には費用を惜しむ、ということなのです。 私の感覚からすると、そちらの方が難しいし、ここで間違うと、ろくなものにならないと思うのですが。 ま、それは今に始まったことではなく、昔から成果が形にならないものには費用を払うという感覚がないのでしょう。 が、設計作業だって、「図面そのもの」には価値はないのに、と思います。 物が建って、立派に経営できて、収益を上げて、ということが成果なのに、です。 私たちの仕事は、単に設計作業をすることではないと思っています。 だからこそ、私は設計の前段階から、何する? という段階から、参加したいといつも思っています。 そして、できたものを、どう「売っていくか」「打ち出していくか」というフェーズにも参加したいと思っています。 幸いに、私のそういうココロをよく理解してくれる方が多くて、きわめて気持ちよく仕事をさせていただくことも多いのですが、時として、そう思っていない方もおられます。 また、そういう段階でのフィーをいただくのはなかなか難しいというのも事実です。 繰り返しになりますが、私はモノができた後のプロモーションにも関心がありますし、そういう仕事もやらせていただくことがあります。 それは、建築家の立場としての参加ではなく、まさしく広告代理店の業務の範疇の事柄です。 プロモーションは、その運営・経営に携わっている方が最も効果的な策を打出せるというようなものですが、必ずしもそうではないと思っています。 なぜか。 プロモーション専門部署があれば別でしょうが、普通は、ありません。 営業担当だからといって、そうではありません。 広告の現場におられる方、また一線で営業をされている方、なら分かると思います。 つまり、営業担当であるなら、直接的な成果、明日の成績、が必要だからです。 プロモーションは、もちろん、「売れる」「流行る」「人気になる」「話題になる」ことを目指しているのですが、そのためには、時として迂遠な策も打たねばならないからです。 どうすれば、「売れる」「流行る」「人気になる」「話題になる」のか。 それを考えるのがプロモーション企画です。 自分の商品ないしサービスの「売り物」に溺れることなく、客観的に冷静に、売り方を考えるものです。 そして、その費用対効果は? と。 冒頭の友人に話に戻りますが、彼は嘆いていました。 ある一戸建て住宅街のプロモーションをしたらしいのですが、そのとき実施したイベント費用しか払ってくれない、というのです。 イベントは手段であって、それはイベント屋さんに払う費用です。 チラシを作ったのなら、それは印刷屋さんに払う費用です。 彼の事務所としてのフィーはもらえていないというのです。 成果報酬タイプの契約をして、売れた分の○%を受け取るはずだったものが、もらったのは最初の2戸分だけで、後はなんやかんやと理由をつけられてもらえていないというのです。 私は、怒りを覚えます。 会社あるいはプロジェクトのコンサルタントとしてベストな案を考え、代理として業者に指示を出して成果を生んでいるというのに、です。 しかも、リスクを負って。 聞けば、その請求費用は、びっくりするくらいに安いものでした。 プロとしてのフィーどころか、日当さえも出ていないのでは? という額でした。 そういう相手には、じゃ、自分でプロモーションを企画してみれば? と言ってやりたいですね。 社内の案だからこその根回しに疲れ果て、いつの間にかまったく違う案になり、失敗すれば叱責されるでしょう? その部分をも、外部として請けているからこそ進めていける、という面もあるのに。 商売をしているのに、なぜ、プロモーションにコストをかけないのでしょう。 そこに力を入れないのでしょう。 「運営」はしているけれど、「経営」はしていないんじゃないですか? 不思議でなりません。 業種にもよりますが、営業マンが走り回るだけで、あるいは店を開けているだけで、「売れる」「流行る」「人気になる」「話題になる」時代ではないと思うのですが。 すみません。 今日は、どうも激しい愚痴のような話題でした。 次回はもっと楽しい話を書きますので、ご容赦を。 スポンサーサイト
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インテンポで今日もいこう!!空中庭園の話題2009-06-07 Sun 08:44 誰にでも至福の時間というものがあるでしょう。 ユーチューブでお気に入りの映画のお気に入りのシーンを何度も何度も見るとき。 道端にツクシを見つけたとき。 夜、車で走っているとき、窓を開けると蛙の大合唱が車の中に一気に流れ込んでくるとき。 挙げだすときりがないのですが、 昨日、私にとって、ひとつの楽しい時間を過ごしました。 大阪駅にあるホテルグランビアの上層階から、梅田スカイビルがよく見えます。 梅田スカイビルといえば空中庭園 グランビアのレストランでご馳走になったのですが、料理が運ばれてくるまでの間、夕日がまさしくスカイビルとウェスティンホテルの間を落ちていきました。 話は必然的に梅田スカイビルや空中庭園や滝見小路のことになります。 この話はブログでも何度か登場しています。 (空中庭園の話題一覧はこちら) どうにも自慢話めいたことばかりになってしまうのですが、私の「ライフワーク?」の一本なのですから仕方がありません。 ということで、今朝も空中庭園の話題をひとつ。 空中庭園ホームページが一新されました! まずはご覧ください ![]() ![]() 空中庭園サイトこちら 他の展望台サイトと比べてください。 東京タワー 通天閣 京都タワー それぞれ特色がよく出ていると感じますが、 空中庭園のホームページはどんな印象を持たれましたか? 観光スポットとしての展望台ではなく、 デートスポットとして、しかも大人も楽しめるスポットとして (だから当然おすすめの時間帯は「夜」ということになりますね) の空中庭園の魅力が伝われば良いのですが。 いかがでしょう。 これだけのボリュームのホームページですから大勢の人による合作ですが、私はそのプロジェクトメンバー中で、テキストつまり文章から醸し出されるものを、ある厚みの中に収めることに注力しました。 また、各ページをざっと数秒間見たときに感じる雰囲気を大切にしました。 そもそもホームページで伝えるものがあったとして、それを「誰にどんな言葉で伝えるのか」、というのは「広告や広報」の中で重要なテーマなのですが、それが絞りきれていないばかりに損をしているホームページがたくさんあります。 北海道から来た観光客しかも団体さん、修学旅行できた団体生徒さん、小さいお子さんの家族連れ、年老いたお母さんを連れてきた奥様、就活帰りの若者のグループ、そしてまさに今、恋中にあるカップル……。 これらのすべてのグループに空中庭園に来てほしいのですが、ホームページですべてのグループに均一に最大のインパクトを与えることは難しいことです。 というより、どんなグループの人にもまんべんなく空中庭園の魅力を最大限に伝えるというのは、不可能です。 まずはピンポイントで、ある一定のグループの人たちに魅力を伝えることさえ難しいのですから。 もう、分りますよね。 私が伝えたかったものはなんだったのか、そしてそれを誰に伝えたかったのか、は。 ダメ押しで、私のお気に入りのページを数点挙げておきます。 (「好み」というレベルのチョイスです) Lovers’ Story とっておきスポット cafe SKY 40 エボリューションプロジェクト フォトコレクション クリスマスツリーヒストリー ショートストーリー ところで、昨日お会いしていた方は「梅田スカイビル」にもゆかりのある方で、信州にあるその方の別荘の建て替え計画を依頼されたのです。 この話はきっとおもしろい話になるでしょう。 数ヵ月後、このブログにもきっと登場することになると思います。 |
庭のデザインは難しい2009-05-21 Thu 16:48 先日、私が外構(庭)のデザインをした建物の竣工記念式典が行われました。 300人ほどが集まった盛大な式典でした。 緊張しました。 ![]() これがその一部です。 (あいにくの雨模様の日で、フォトが暗いのが残念です) ![]() メインの庭の方の一部。 既存樹があったので、それを活かしています。 (結果的になんとなく、いわゆる和洋折衷スタイルになりました) 今回はローメンテナンスを前提にしてかん木類を多めに入れています。 あまり気をてらわずに、でも、庭らしく見えるように工夫しています。 そして、使われる人が「これから自分で楽しむ部分」も残してあります。 で、なぜ緊張するかというと、 式典出席者のほとんどの人は(クライアントも含めて)、初めてこの庭を目にするわけです。 もちろん工事中に少しは目にはされているでしょう。 でも、まともに説明を受けているわけでもなく、どんなものができてくるのか、皆目見当が付かない中で、ドンドン木や草が植えられて、あっという間に出来上がるわけです。 そしてお披露目。 お客様が「喜んだ顔」をして下さったら、私は「よかった~ホッ」となりますし、お客様が「唸ってしまわれたら、わたしは小さくなってしまいます。 それなら初めから、ちゃんとデザインを説明しておけばいいじゃないか、ということなのですが、 庭の場合はとても難しいのです。 ① まず、お客様は木の名前も、ましてや草の名前さえご存じない状態で、いくら説明しても説明しきれるものではありません。 ②パースを書いても、建築空間のように分りよく表現できるものでもありません。 (普通はプレゼンテーションのための余計な費用はいただきませんし) ③ 季節によって庭の景色は一変します。 いつの時点ではこうなってああなって、数年すればこうなってああなって。 そして5年も経てば…。 昼間は全体としてこういう景色になるだろうけど(周りも見えるので)、夜は照明効果が発揮されるので、たぶんこうなるでしょう… てなことを苦心して説明しているうちに、お客様も「もう、任すわい」ということになります。 任されたからといって、好きにやればよいという意味では決してありません。 最終的に「気に入るかどうか」はお客様の手にあるからです。 私は、たぶん、気に入ってもらえるはず、という「信念!」のもと、 形を決め、土地のアンジュレーションを決め、図面上で植える植栽の配置や植栽密度を固めていきます。 そしてこんな風に照明を当てて、と考えます。 コストが合わん、とかなんとかいいながら。 そして工事を迎えます。 が、思ったとおりのものができる保証はありません。 木は一本一本の形が違います。 設計では高さ30cmのかん木を指定していても、工事現場に運び込まれてきたものは50cmもあったりします。 その逆もあります。 ゲッ、というところに排水用の大きな枡が来ていたりします。 例えば2枚目の写真の右端にアイランド型の花壇がありますが、なんとここに巨大な排水枡があるのです。(これを隠すために花壇を…なんで庭の正面の真ん中に排水枡を持ってくるんだ!!) と、、臨機応変に、その場その場で設計変更をしていきます。 お客様は楽しみ半分・不安半分でその様子を見ておられるのでしょう。 ほとんど何も知らされずに。 で、できました! というのが竣工なのです。 ですから、「竣工がプレゼンテーション」。 私がよく言う、「結果がプレゼン」です。 だから、晴れがましくもあるけれども、緊張もするのです。 たぶんこの庭はきちんとメンテナンスされて、しゃきっとした庭として成長していくでしょう。 今は、植えたばかりで、バサバサした感じがそこかしこに見えますが、 きっと、すっきりしつつも華やかで、しっとり感もある庭に育っていくことでしょう。 |
デザインの手法(スタイル)について2009-05-15 Fri 16:38 誰かから、突然、相談を受けたとします。 「こんな感じの部屋にしたいと思うんだけど」 あるデザイナーは、その場で、 「じゃ、こんなのはどうですか?」 と、さらさらとスケッチを描くでしょう。 でも、私は一切描きません。 デザインは、依頼を受けてするものです。 アートじゃないです。芸術ではないです。 芸術家の発想を「作品として」作ることではないです。 依頼者の思いを実現することが仕事です。 そしてその依頼者の思いの「上」を行く発想を提示できることがプロの仕事です。 全然、図面描いてくれないね~なんて言われることがあります。 ほとんどの場合、私にすれば当然なのです。 依頼者の思いがまだよくわからないからです。 あるいはなんらかの与件的なものがあったとしても、その奥にあるもの、その根元となっているものが、明確になっていない場合が多いからです。 「こうしたい」といわれても、「はい、わかりました」と簡単には受け取れません。 本音が別のところにあるかもしれないし、単なる希望であって現実的ではない「与件」なのかもしれないからです。 その状態で、「簡単なスケッチ」など、描けるはずもないからです。 たとえばインテリア。 本物のムクの木を使った床にしたい… 本物のムクの木を使うこと自体にこだわりがあるのですか? あるいは、そういう雰囲気がお好みなのですか? 既成品の均質感がお嫌いなのですか? 例えば庭。 季節の花が咲いて華やかな庭にしたい… 管理は貴方がすることになるのですが、できますか? 冬の間は別にして、一日、数時間は庭に出て、花の管理をしていただけますか? それとも、そういう雰囲気がお好みなのですか。 花が重要なのですか? 華やかさが重要なのですか? こういう対話を十分に踏まえてデザインを始めないと、とんでもないことになります。 そして、デザインとは「作業」ではありません。 依頼者の本当の思いを引き出し、それを形にすることです。 そのために、私は、ずーっと考え続けています。 彼の思いはどこにあるんだろう… そして次は、それをいかに安く格好良く作るか… これらが見え始めてきて、やっと図面化し始めます。 図面をたくさん描くことが仕事ではありません。 図面化するということは、単に最後の「作業」です。 依頼者と共に考え続けてきたものの「形」が、もう私の頭の中にできているからです。 図面はそれを伝えるための「道具」なのです。 悲しいことに、それを分ってくれる発注者はあまりいません。 |
滝見小路の詩2009-04-14 Tue 17:58 ご存知、大阪梅田の空中庭園(梅田スカイビルの屋上のことですね!!大阪人は皆知っている^^) が、昨年に続き、まもなく大ビッグサプライズ驚愕震撼アンビリバブルの進化の一歩を遂げます。 何が起きようとしているのか、詳しくは「空中庭園大作戦」というスタッフブログに譲るとして、今日は僕の知られざる自慢話を。 空中庭園といえば、空を楽しむ展望台としてつとに有名ですが、その足元、梅田スカイビルの地下には、なにわ情緒豊かな飲食店が広がっています。 その名も「滝見小路」 中自然の森という緑が広がり、せせらぎが流れ、滝が迫力ある音をとどろかせています。 これに面した昭和初期なつかしおもしろ食堂街でございます。 だいたいが、未来的な超高層ビルの足元には、そんなレトロな「食堂街」があるのです。 このミスマッチというか、大阪人の幅の広さというか、大阪人の気合!ですよ。 (単なるおもしろがり、ともいう) しかもですよ、お店はどれも大阪いちおしのお店ばかりです。 金太郎飴みたいなビル地下食堂街じゃありません。 グルメ雑誌や旅行雑誌に掲載されるお店ばかり。 さてさて、 その中にはお稲荷さんもあるし、本当に水の出る手押しポンプの井戸もあるのですが、 交番もあります。(お巡りさんはいないけど) で、その中にこんな詩が掲げられています。 全文をご紹介しましょう。 滝見小路の詩 大正・昭和の時代 大阪の街の青春期 道往く人は来るべき新しい空気を感じている この街では雨の日でも傘をさす人は居ない 青春の思ひ出を翳して歩くのだ さあ、君も芽生えた思ひを 手押しポンプの水の清々しさを 共にある人の為に尽きることなく注ぐのだ。 手を合わせ祈ることを忘れてはいけない 嘗て見た夢を これから始まる冒険を 共通の言葉で語り合うために (一部の古字体は変更しています) この詩らしきものは、私がこの梅田スカイビルのプロジェクトに参加し、滝見小路の企画を担当していたときに、 3日3晩唸って書いたものでございます。 (交番の中を覗いてください…素人の詩が掲げられています) ![]() (↑証拠写真) 竣工間際となったその時の、私のはつらつとした気分と共に、これからこのビルが進化していくであろうときの心意気を、その時点で書いておいたというものでございます。 非常に稚拙な詩でございます。 実は、恥ずかしげもなく厚かましく、谷川俊太郎先生に梅田スカイビルにおいでいただいた折に、見ていただいたこととがあるのですが、先生は「うううーむ」と一言、でございました。 (よかったです。批評でもしていただこうものなら、私はカチンコチンになってしまっていたことでしょう) そうして、あれから15年以上も経つのですが、私はこの詩の気分と同じように、 共通の言葉で語り合うために、 雨が降っても傘もささず、 芽生えた思いを、 共に今ある人のために、 そして空中庭園のために 尽きることなく注いでいるのです。 (ちょっと格好つけすぎ↑!!) ● 空中庭園新サイトオープンこちら ● 滝見小路サイトこちら |