ドロのココロだ

空間デザイナーの書くミステリー小説「ノブ&ユウシリーズ」更新記録と日々のつぶやき。

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「万博記念公園”生物多様性の10年”行動計画」についての意見

2週間ほど前の朝日新聞に、「2022年 こんにちは 豊かな里山」万博公園計画 という記事がありました。
これについて、2点、意見します。

記事、曰く、
10年後には、万博公園(大阪府吹田市)をフクロウやサンショウウオなどがすむ自然豊かな里山にしようと日本万国博覧会記念機構が「新SATOYAMA宣言」を発表し、行動計画を策定した。
(中略)
万博公園を、本当の里山まで行かなくても自然を体験できる「里山の前線基地」として位置づけた。
湿地や雑草地を作り、フクロウやアカネズミ、サンショウウオなど、現在はいないいきものを放し、定着を試みる。
「たくさんの生き物が生息する本物に近い自然環境を整えながら、子どもたちの体験学習や高齢者の健康作りなど、人が安全に利用できる森に育てていきたい」
という。

里山。
最近、流行の言葉です。
公共投資という名の下に、本物の里山が目の前にある地域で、自然ふれあいセンターや自然公園などがたくさん作られてきた過去。
それらはできた初めの頃こそ、それなりに訪問者もあったでしょうが、今ほとんどは、雑草だけが生い茂る荒地と化したのではないでしょうか。
今、「里山」という新しい言葉を得て、各地でまたそんな「整備」事業が行われようとしているという気がしてなりません。

そもそも、「里山」はそこに住む人々の「生産」も含めた暮らしの場であり、人々の手によって培われてきた風景です。
そこに住む人々の暮らしも含めての風景です。
それが、美しいと言われだしたことによって、「○○整備事業」がその名を騙る構図ができてきました。

確かに、今回の万博公園の事業は「里山そのもの」を作るとは言っていません。「里山の前線基地」だといいます。
さすがに、住む人のない、生産の場ではなく生活の場でもないものを「里山」と謳う愚は冒してはいません。
しかし、せっかく育った「森」を壊してまで、作る必要のあるものでしょうか。

万博後、40年を経て大きく深く育った森。
それはそれで、ひとつの立派な「自然」ではないでしょうか。
たとえ、それが単一的な生態系であったとしても、暗く陰気な雰囲気を纏っていたとしても、「本物の自然環境」なのではないでしょうか。
なぜ、破壊する必要があるのでしょうか。
大阪の都市のど真ん中に、里山の前線基地を作るのなら意味があるし、大いに賛成します。たとえば、大阪駅の北ヤード跡地などに。
それこそ、子供達や高齢者だけでなく、すべての人々が親しむ「公園」あるいは「緑地」あるいは「自然」となるでしょう。
しかし、万博記念公園は、都心部ではありません。
近くに、北摂の山々があります。
箕面や茨木や高槻の山々を超えると、日本海に至るまで、様々な「自然」や「里山」が連綿と続いています。
「本物の自然」や「里山」を楽しみたければ、そこに行けばいいのではないでしょうか。北摂の山でなくても、六甲連山もあるし、生駒山系も金剛山系もあります。大阪平野は狭く、山に囲まれているのです。そしてその山のふもとには、あるいは山の向こうには里山が「普通に」存在しているのです。

今の万博公園は、先見の明によってできた、都市近郊の「森」です。
しかも、平坦地で、すでに遊歩道もあります。子供達だって、高齢者だって、その森の息吹を感じようと思えば、簡単に体験することができます。それを、なぜまた「整備」する必要があるのでしょうか。

うっそうとした森は美しくなく、開けた「里山的光景」は美しい、というのはあまりに人間の勝手ではないでしょうか。
「整備された公園」が美しく、「うっそうとした森」が美しくないというのは、整備する側の主張であって、いつのまにか市民に刷り込まれてしまった論理ではないでしょうか。
いや、既に「公園」なのだから、「森」ではだめだ、ということなのでしょうか。
「公園」だから、わざわざ金をかけて「整備」して当然なのだ、ということなのでしょうか。


そして、もう一点。
こういう事業の名目に、常に謳われる「子どもたちの体験学習」や「高齢者の健康づくり」というフレーズ。
子供達や高齢者を、いわゆる「弱者」扱いして、お手軽に、容易に、安全に、お楽しみください、というのでしょうが、もう飽き飽きしました。
言い方は申し訳ないですが、こんな使い古された金太郎飴のようなフレーズで、予算化の決裁がなされるということに、脱力します。

日本万国博覧会記念機構は独立行政法人です。
組織の目的は、「日本万国博覧会の跡地を一体として保有し、これを緑に包まれた文化公園として整備し、その適切な運営を行うとともに(以下、略)」なのですから、上記のような事業も目的に叶っているということなのかもしれません。
でも、私は、今回発表の事業の方向性を、今の社会情勢にあわせて見直して欲しい、もっと有意義な事業にその熱意を向けて欲しいと思っているわけです。

例えば、そのお金があるのなら、大阪都心で「本物に近い自然環境」を整えるために使って欲しい、と思うわけです。あくまで、一例です。
日本万国博覧会記念機構の最も重要な設置目的である「日本万国博覧会の成功を記念する」ために。
そうすれば、多くの人が、大阪万博とも言われたあの博覧会の熱気を思い起こし、「大阪の活力」を生み出す一助になるのではないでしょうか。


ちなみに、朝日新聞には記載されていませんが、この計画名は「万博記念公園”生物多様性の10年”行動計画」といいます。
これを読めば、すばらしい内容も含まれています。
それでも、私は、今なぜ、そうする必要があるのか、という疑問が消せないのです。


日本万国博覧会記念機構の「“生物多様性の10年”行動計画」の紹介ページはこちら。
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台北の街並み

昨日、友人に聞かれました。
「台北、どこがよかった? オススメは?」

「ドコがって?」

ツアーで行きましたから、いわゆる観光名所に連れて行ってもらいましたが、私としてはどこの街に行っても、街中散策が好きです。
それで、その国、その街らしい光景に出会うとうれしくなります。

その街ならではの街並みにも感動します。
で、台湾の首都台北の街並み。
台北の街並み1

この写真は旅行ツアーで連れて行ってくれた土産物屋に用がなかったので、外で待っているときに撮影したもの。

きれいな町並みかどうかは別にして、台北らしいエキゾチックでエキサイティングな感じがしませんか。
なにか、こう、パワーが。
ガンッとくるパンチはありませんが。
(写真が小さくてわからないかもしれませんが)
こういう街並みに、その国、その街らしさが現れています。



ビルの1階が歩道と平行の通路になっていて、雨に濡れずにどんどん歩いていける街は多いですが、台北もそのようになっているところが多かった。特に繁華街では。

各ビルごとに自由な床仕上げで、それはそれで楽しいのですが、各店ごとにレベル(高さ)が違うし、勾配も違うので歩き難いのですが。


それにしても、こういうビルがどこの町にもたくさんありますが、いつも悩みます。
この上層階は人が住んでいるのでしょうか。
それともいわゆる日本で言う雑居ビルで、いろんな会社が入居しているのでしょうか。

そんなことを考えながら、どこまでも歩いていくのが好きです。
行くところまで行ったら、あっさり地下鉄に乗って帰ってきます。
台北は地下鉄がとても便利ですから、どっちに歩いて行くにしても、帰りの心配をしないでよいのでラクチンです。



観光名所めぐりも楽しいですが、街並み散策も良いものです。
その辺にいくらでもあるあけっぴろげな「食堂」でご飯食べて、あるいは買い食いしてね。
友人にはそう言っておきました。
「はあ~」という反応でしたが。




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惚れ惚れする擁壁

近鉄の室生口大野駅から室生寺まで歩いた。
東海自然歩道で、整備されていて上り下りもほとんどなく調子がいい。
ヒノキと杉の植林の中を行くので景色としては単調なのだが、ヒノキの香が強く匂ってすがすがしい。

峠を越して室生の集落に入る手前、
休耕田を利用したのか、谷あいに屋外彫刻美術館のようなものができていた。
集落内の道で干からびかけていた小指ほどのイモリの子をつまみ上げ、この小ささで春まで冬眠できるのかと思いつつも、とりあえずは小川沿いの草むらに逃がしてやった。

で、今日の本題はこれである。
こんなものを見つけてしまったのだ!
ほのぼのモードで歩いてきたから、久しぶりに興奮してしまった。

youheki2.jpg

youheki1.jpg

youheki4.jpg

杉丸太を組んだ擁壁。
説明の必要もないほどシンプルで力強い。
圧倒される。
美しい。
職人の手が感じられる。
緑が生えている。年月とともに癒しモードになっていくだろう。

この擁壁の上は畑(だったと思う)だし、
公共の土木工事ではなく個人のどなたかの所有だと思う。
いいよね、これ。

屋外彫刻美術館より、こっちの擁壁に感動してしまった。

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無残なイルミネーション

無残なイルミネーション

先日、東京で見たもの。
これ、大手町にある某ビルのイルミネーションツリーの幹。

僕にこれはできないな。
痛々しくて、正視することにも罪悪感にさいなまれる。

夜にはそれはそれで「きれい!」などと人は言うのだろうが、
何十年も生きてきた木に対してすることだろうか。
この年になってこんないわれもなき拷問を受けることになろうとは、
木は思ってもみなかったことだろう。

人の傲慢さ。
自然を愛する気持のかけらもない。

これを立案し、計画し、金を出し、施工した者たちに
何らかの罰を。
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