ドロのココロだ

空間デザイナーの書くミステリー小説「ノブ&ユウシリーズ」更新記録と日々のつぶやき。

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桂離宮の木漏れ日

桂離宮に行ってきました。
2回目です。
桂離宮


木漏れ日。
美しいですね。


よい庭とは。
なんて、絶対的な評価軸はないと思っています。
ただ、「よい庭」の条件として、「そこにいる人を気持ちよくさせる」ことが最重要だと思っています。

もちろんこの写真のように、美しくそつのない景観も「気持ちいい」ことの条件だと思います。
桂離宮の庭園


しかし、もっと重要なことは、人それぞれである「気持ちよさ」を作ることだと思います。
気持ちいいとは。
美しい花や木を見て素敵だなあ、気持ちいいなあと思う。
木漏れ日を見て、穏やかな日だなあ、気持ちいいなあ、と思う。
虫の音や羽音を聞いて、平和だなあ、気持ちいいなあ、と思う。
鳥のさえずりを聞いて、あるいは鳥の姿を見て、いとおしいなあ、気持ちいいなあ、と思う。
木々の間から青空や星を眺めて、自分は小さいなあ、気持ちいいなあ、と思う。
抜けていく風を感じて、すがすがしいなあ、気持ちいいなあ、と思う。
土の冷たさを感じて、癒されるなあ、気持ちいいなあ、と思う。
などなど。


今回の桂離宮の案内人は、気に入りました。
桂離宮の「すごさ」ではなく、「簡素さ」「簡素だからこその豊かさ」を強調して話しくれたことです。
この離宮の維持に多くの手間と費用が掛かっていることを自慢するのではなく、華美な装飾では感じられない「豊かさ」をきちんと話してくれたことです。

「心の豊かさ」とは、よく言われる言葉ですが、その意味を説明することは難しいものです。
華美な装飾は、それを説明すればいいのですが、簡素さの中にある豊かさとなると、説明する対象がモノとしてないので、「あなたも感じるでしょう?」と、投げかけるしかありません。




で、先の写真の木漏れ日。
この舗装は、小石を丁寧に並べたものですが、ちゃんと平たい面を上にして、絶妙の密度で敷き並べてあります。
手は込んでいるのです。
手は込んでいるけれど、豪華には見せない。
きちんと手間を掛けているけれども、あくまで自然に見せる。(自然にそうなったように見せる)
これが究極の贅沢な庭なのだと思います。


もちろん、華やかさを求められる庭では、別の答えが必要となるでしょう。
また、メンテナンスを掛けられない庭でも、違った庭の見せ方になるでしょう。

「庭のよさ」を考えるとき、手間と、見せ方と、感じ方、の3つをあわせて考えないと、見えないものがあるなあと思いましたので、紹介をさせていただきました。




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モッコウバラが街を飾る

春なのでどうしても花の話が多くなります。
ちょっと飽きてきましたが、本日も花の話を。

モッコウバラ
2年ほど前に我が家の庭に植えたモッコウバラです。
花は小さいけれども、よく見れば、やはり花がバラの形で、棘もあります。

あまり匂いはしません。
丈夫な木です。ぐんぐん伸びます。
強靭です。

その証拠がこれ。
モッコウバラ黄色の生垣
黄色いモッコウバラの生垣。

写真を撮らせていただくのが少し遅くなったので、微妙に白くなっています。

数年でこんなに立派な生垣に。
生垣の役目を立派に果たしつつ、観賞にも。
キレイですね~!



お次はコチラ。
白いモッコウバラ
こちらは白いモッコウバラ。

2階のバルコニーに野趣たっぷりに咲き誇っています。
建物の雰囲気にぴったりですし、前庭の風情ともマッチしています。

おお~大胆! すばらしいのひとこと。



このところ、モッコウバラの人気が急上昇。
(わが地域だけのことかもしれませんが)

どんな花木でもそうですが、モッコウバラも花の時期は一気に存在感を現す木ですね。
この3枚の写真で、くどくど説明する必要はないですね。



個人的趣味でいえば、モッコウバラは黄色、白色がいいですね。
野趣があるという意味で。








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修学院離宮続き

これがその大刈り込み
修学院離宮の大刈り込み


そして修学院離宮のもうひとつの「見どころ」はこの景です。
修学院離宮の田畑

まあ、田んぼですな。上離宮、中離宮、下離宮の間に広がっています。
田植えが終わった状態ですな。
そしてその向こうに京都市街が遠望されます。

この田畑、今は宮内庁が管理している土地らしい。
田畑の景を借景として修学院離宮の景は成り立っているわけですから
これを保存し、近隣の農民に借地しているということらしい。
私が訪れた日は皇宮警察の人と農家の人が挨拶を交わしていたけど、
のどかな印象を受けました。


叡山電鉄の修学院の駅は初めて降りましたが、案外、街でした。
もっと郊外の、というか、はっきり言って田園地帯の街かと思いきや
京都市街と繋がった住宅地なんですね。
近々このあたりを重点的に散策してみようかと画策しています。

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修学院離宮

修学院離宮1


京都に住んでおきながら、恥ずかしながら、いまいち土地勘がない地域がある。
ひとつは醍醐のあたりと、もうひとつが修学院や白川の辺り。
メジャーな観光地じゃないからだろうし、車で通過するようなところでもないからだろう。
京都在住といっても、住まいは市内ではなく南の丘陵地だし、もともと大阪人だしね。京都の市内に出向くときは、ほとんど観光客みたいなものです。

さて、修学院離宮に行ってまいりました。
この正面の山は修学院山というそうな。手前の松並木はお馬車道というそうです。赤松ですが、徹底的に剪定されて、まるで盆栽です。
ついつい、盆栽を見るようにしゃがみ込んで幹の姿を眺めてしまいました。



修学院離宮2

それで、この景色が有名な修学院の庭ですね。
この池は下の田んぼのためのため池でもあるんでしょうね。
あっさりしています。
もっと古い格式ばった庭園では、(いえ庭園が格式ばっているのではなく、その庭園を「売り出している」人が格式ばったのが好きなのでしょうが)だれそれが座った何とかの石だとか、だれそれが着物を架けた何とかの松とか、唐のなんとかを模したあれこれ橋だとか、だれそれが亀を救ったなになに浜だとか、まあ、どうでもいいような説明があるものですが、ここにはありませんね。
ダイアナ妃が座ったベンチだってのはありましたが。
離宮を見に行くんだから、案内係りがそんな説明をするのは仕方ないにしても、庭を見に行くものとしては、もう少し、植物の説明とかを聞きたいですよね。

植物の説明で心に残っているのは、大刈り込みですね。
奥行10mほどあり、40種ほどのかん木が植え込まれたまぜ垣なのですが、その剪定方法の説明がおもしろかったですね。
その景も圧巻でした。

(つづく)
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京都迎賓館

京都迎賓館

京都迎賓館を視察してきた。
施設全体として、国賓を迎えるゲストハウスだけあって、
とてもスマートにできているという印象。
スマートというのは、「日本らしさ」のデザインが、
細部にわたって全体を覆っているのだが、
それがコッテリ和風ではないということ。

加えて、さまざまな工芸技法が一流で、
贅沢なほど規模が大きい。

京都迎賓館

この和室の机は漆塗りで12m。
いいかどうか別にして(模様替えできないやん)
迫力満点。

ここを除き、茶室も含めて靴履きのまま。
この点はどうだろう。
さまざまな議論がなされた上であろうから、
私がここで異論を挟むつもりはないのだが、
もっと畳の部屋あってもよかったのではないか。
(私が見せていただいていないだけかもしれない)
「ここは日本」を体感してもらうために。


京都迎賓館

庭も和風庭園。
ただし、これも現代的。
明るく、のびやか。モダンな要素も取り入れて。
和の要素が強調されているが、厭味がない。

もう一度、冒頭の写真を見て欲しい。
これは施設一番の広間(レセプションルーム)から見た庭の景だが、渡り廊下が視界にほぼ平行に走っている。
少し左奥に傾いているのだが、
これはもう少し強調されていてもよかったのではないか。
あるいは雁行させるとか。
空間の奥行き感をより意識させるために。
少し微妙過ぎるかな。
(こんなこというと、これくらいのさりげなさが日本的でいい、とお叱りを受けそうだが)

それにしても、庭の「宇宙」とは不思議なものだ。
この迎賓館にしても、南側の仙洞御所にしても、周りを歩くとそれなりに広いが、かといって広大というわけでもない。
しかし、中に入って庭を眺めると、それはそれは広いこと。
(迎賓館の場合は池の対岸にある施設が大きすぎるが)
いずこの名園といわれるところはどこもそうだが、広大な山野に穿たれた小さな池、山野をさまよった挙句にようやくたどり着いた桃源郷、という印象だ。
実際は限られた敷地に作られた回遊式庭園なのに。

ただ、裏方も見せて欲しかったなあ。
セキュリティ上の問題があろうから仕方ないけど。
(写真撮影する場所も制限されました)

ところで、白状すると、この施設をだれが設計したか、
私は知らない。
知らなくていいのだ。
知ってしまうと、先入観を持たずに自由な気持で見て回れないから。
原広司さんや安藤忠雄さんのように親しくしていただいている建築家の作品であれば、なかなか心を真っ白にして見ることはできない。
単に、私のものを見る目が鍛えられていないから、ということである。




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